こだぬきAMANO小笠原諸島へ行く!!



9月21日(水)  11時  おがさわら丸にて

竹芝桟橋出港。

ついに始まりました「こだぬきAMANO」の小笠原諸島の旅。

東京湾を出るまでは穏やかでしたが、その後は台風14号の残り余波で波荒くなかなか揺れてくれました🌊

船内でワンちゃん連れに遭遇。

母島在中の豆柴ちゃんは、船酔いしないのかしら⁉️  

ワンちゃん用のお部屋があることに、ちょっとビックリ‼️

夕焼けを観たかったのですが、波荒くデッキ閉鎖。

まぁ、そんな状態ですから空はドンより、夕焼けなんて見えるわけもない(苦笑)

揺れるし…やること無いので、ヨッシャ‼️

ここらでワインでも飲むか🍷

さすが揺れてるから、ラウンジ空いてました(笑)

朝には穏やかになっていることを願って、早々寝ましょう💤


 


9月22日(木)  朝日と共にスタート🌞


11時 無事父島入港→12時 ははじま丸で母島へ

揺れながらも父島への24時間航路はあっという間。
その後、ははじま丸で母島へ2時間の航路。
なんてすばらしいかな‼️これこそ紺碧の青い海🌊
船を追うようにカツオ鳥が飛び廻ってます。
残念なことにクジラは3月頃。イルカにも遭遇できませんでしたが😂

おがさわら丸に居た豆柴の飼い主のママさんは、母島の方。
ワンちゃんのお名前が「りー」・我が家のネコちゃんも「りー
ママさんのお家は、宿泊先「クラフトイン・ラ・メーフ」の目の前。アリャ!
ここまででも驚きなのですが、お名前が『石原』うっそ~!なんと私めの旧姓が『石原』
そんなこんなで、すっかり打ち解けて・・・村を案内してもらいながら、海亀の産卵地、海から上がって山へ行くオカヤドカリ、固有種の動植物など、いろんなお話しが聞けました。
食事の後は星空を観に・・・さすが小笠原。♪星の降る夜は・・♪と歌いたくなるほどの星空。感激☆彡
その途中、島の唯一の飲み屋『島っ娘』でごちそうになってしまいました(笑)
必要のない光がなく、無に等しいほど音もなく、耳を澄ませば心地良い波の音がかすかに聴こえる。
まさしく別世界と楽しい時をいただきました。



9月23日(金)  午前中島内見学 → 14時 ははじま丸で父島へ


昨晩は楽しい夜を過ごせたことに感謝。
朝9時半から、島見学に行ってきま~す。
母島の南、都道最南端の南崎。

御幸之浜に1927年昭和天皇行幸の折、生物採集に軍艦でおいでになったとか!記念碑がありました。

ヘリポートには入れないので、ちょっと高めから見せてもらいました。
ヘリポートの海の先に姉島が見えています。
急病など緊急を要する時は、硫黄島からヘリが来て、一旦硫黄島へ搬送。そこから本土広尾病院へ。それでも10時間ほどかかるそうです。
※島のかかりつけは広尾病院らしい。経費は200万円程で国持ちらしい)
ゆえにコロナ対策は厳しい。
また、世界自然遺産のため、おがさわら丸に乗船する時、父島に上陸する時、母島に上陸する時、外来種を持ち込まないようにするため、靴の裏を消毒液に着けました。

今は沖港に集落がありますが、戦前は母島北端の入り江に北村集落があり、1944年強制疎開直前には600人が暮らしていたそうです。
小学校などの門柱が残ってはいますが、鬱蒼とした樹木が生い茂る状態が、時の流れを感じる場所でした。
北港へ行く途中、特別保護地区『石門』へ。
セキモンノキ・セキモンライソウなど、石門にだけ生息する国有種が豊富。許可を取らなければ入れませんので、入口だけ観て来ました。
東港、ここは商業捕鯨禁止になる港。1987年まで捕鯨が行われていたそうです。今は避難港となっていました。
この側のジャングルの中には、探照灯下砲台が残っているとのこと。
そしてその近くには探照灯基地跡がありました。
身近に見る戦争の跡・・・美しすぎる島に隠れている悲しい過去の歴史。苦しい想いをしました。

出港の時間もあるので、沖港へ戻りましょう。
集落には生活物資の販売店は3ヶ所。
母島特産のロース石でできたミュージアムがロース記念館。
母島の開拓者であるドイツ人、フレデリッキ・ロルフスラルフ(後に帰化、良志羅留普と名乗る)が耐熱性に優れ加工しやすいという特性をもつ、この石の活用を普及させたため、その名なのです。明治9年に小笠原が日本の領土となってからは(小笠原に最初に定住したのは、1830年で欧米人5名と太平洋諸島民20名余が移住し、サトウキビを栽培し、ラム酒を製造)、開拓移住民がサトウキビから砂糖を製造し、戦前は主要な農産物だったそうです。採石場のロース石はその一部が露頭状のまま残されています。

港を見渡せる所に大きなガジュマルの木があります。
そこは島民の憩いの場所。
14時 出港の時間です。
石原さんがハイビスカスのレイを作って見送りに来てくれました🌺感激‼️
汽笛と共にレイを海に投げるのは、また来るね‼️のお約束だそうです。

みんな顔見知りで、すれ違う時に挨拶を交わす。良き日本がそのまま残っている穏やかな空間の母島でした。




ははじま丸は14時に出港→父島に16時到着

今日から2日間父島です。
母島から父島に上陸してビックリ‼️
船着場の扇浦海岸に沿って、とてもきれいなストリートになっています。
その道沿いにガジュマルの木に覆われている「ハードロックヴィレッジ」ここが今日からのお宿です。
まずはストリート見学からスタート。途中長い階段の大神山神社を参拝。310段でした‼️
19時から洲崎という浜へ行き、スターウォッチング。
真っ暗な浜辺で聴こえてくるのは波の音。
心地良い風に満天の星と天の川。
今回私が求めていた空間がそこにありました。
ここまで来て良かったと思った瞬間です。





9月24日(金) 午前中は島内周遊ツアーに参加


ガイドさんの車で、島の北側の宮之浜へ。シュノーケルスポットとのこと。真向かいに見えるのは、兄島。
陸続きに見えるのですが、4キロ程離れています。

釣浜展望台から見下ろす釣浜と兄島。  
ここから観ると確かに離れている(笑)
兄島は水が無いため無人島。
今は調査の方のみ上陸可能。
そこで発見されているのが多種のトンボ・昆虫だそうです。
国立天文台VERA小笠原観測所。
中には入れませんが、直径20mの電波望遠鏡で銀河からの電波を観測したり、種子島での打ち上げの時は、追跡観測をしているそうです。

日本で初めて珈琲農園ができたのが、ここ小笠原。
皆さんに召し上がっていただきたかったので、野瀬農園(珈琲の木800本)に立ち寄りましたが、残念。
島の人もそう簡単に入手できない貴重な珈琲豆でした。

昨晩スターウォッチングをした暗闇の浜辺を知りたくて、連れて行ってもらいました。
暗闇で見つめていた浜辺の先に、南島がありました。
南島付近ではイルカが多く見られるそうですが、11月上旬
〜2月上旬まで入島禁止との事でした。
この洲崎だけは、自然世界遺産には含まれていません。
ここは戦時下、飛行場を作るために埋め立てられた土地。
滑走路1Kmもない飛行場だったそうです。

以上のツアーを終えてお宿に戻り、昼はガジュマルの木の下で、サメバーガーと島ラム酒のソーダ割りをいただきました。
ランチを終えて、お土産を購入するためにストリートを散策しました。
夜はお客様からご紹介いただいた『ボニーナ』へ。
ワインと美味しいおつまみ。
そしてママさんとボニーナのお客様と楽しい時を過ごさせていただきました。
そこでいただいた亀煮が美味しくて、わがままを言って分けてもらい持参しています。
これは早い者勝ちで、Ten-Cooで召し上がれます(笑)。


9月25日(日) 小笠原諸島最終日午前中森山ツアー


小笠原諸島最後のツアーは森山を歩きます。
岩山→鬱蒼とした森を抜けるとそこは名の通りの岩肌。
日本軍が海からの攻撃を見張る場所としていた。
小笠原神社→小笠原に初めて上陸したがお祀りした場所。戦火で本社は焼け落ちてしまった。
傘山→とんでもない岩肌を登り、島が一望できる1番高い鉄塔まで行きました。
海の中に沈んでいる船を発見。戦争の時の貨物船との事。高い所でなければ観れない光景。
オバサンは大変でしたが最高でした(笑)




雨女の私にしては、ありえないほどの晴天に恵まれ、また素敵なご縁をいただき、充分過ぎるほど小笠原諸島の自然のエネルギーをいただきました。
遠いので2度は来られないであろうと思って来ましたが、ここはマズイ・・・もっと若い頃に来ていたら、私は移住していたかも・・・心を残しながら、15時おがさわら丸で戻りましょう。

地球が誕生してから一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島(ハワイ・ガラパコスなど)
そのため独自の進化を遂げた生物や植物の宝庫です。
その自然と反して、戦後77年色濃く戦争の跡が残っているのも小笠原でした。
また写真にもありますが、野生化した山羊。固有種を食べてしまうので、殺傷処分されているとのこと。
また猫も野生化しているので、こちらも捕獲されています。
今まで800頭捕獲され、内地に運ばれ、全て里親に貰われていると聞いて、安心しましたが、まだまだいるそうです。
ちなみに犬は・・・大変少なく、動物保護条例があり、かなり厳しく管理されています。
これも固有種・小笠原の自然を守る処置なのでしょう。
来てみなければわからない・・人と自然の共存・・小笠原諸島。
晴天に恵まれ、素敵な出逢いに、最高な自然界に包まれた5泊6日の旅でした。

東京湾入港



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☆  小笠原諸島について

小笠原諸島は、本土から南南東約1,000kmの太平洋上にあり、30余の島々から成り立っています。

住民は、父島・母島で、硫黄島を除いて、全て無人島です。
一度も大陸と陸続きになったことがない『海洋島』で、多くの固有種が存在しています。

島全体が小笠原国立公園に指定されています。
また、小笠原諸島の豊かで独特な自然の価値が認められ、平成23年6月に「小笠原諸島」が世界自然遺産として登録されました。 
日本における世界自然遺産は、平成5年に「屋久島」「白神山地」、平成17年に「知床」が登録されており、『小笠原諸島』は4番目の登録となります。

本土との定期的な交通手段は、竹芝桟橋から父島の二見港を結ぶ航路が唯一で、約24時間かかります。おおむね6日に1便のみの運航です。

本土から父島まで10,000k
父島から母島まで50k
父島から硫黄島まで280K(東京から仙台手前辺り)

おがさわら丸 
全長150m、11,035t、旅客定員894人。
小笠原海運が運航している貨客船。
所要時間は、竹芝桟橋から24時間。おおむね6日に1便運航しています。













ははじま丸 
全長65.20m 、453t、旅客定員200人。
伊豆諸島開発が運航している貨客船。
母島にある沖港と父島二見港と
の間を約2時間で運航しています。






父島
面積:23.45 ㎢
人口:2,156人
硫黄島に次いで、小笠原諸島で2番目に大きな島。
周囲の兄島、弟島などの島とともに父島列島を形成しています。
集落は島の北西部の大村地区が中心。島の西側に西に開けた二見湾があります。

母島
面積:19.88㎢
人口  :  459人
山:乳房山(標高463m:母島の最高峰)
母島の周囲には姉島、妹島などの島とともに母島列島を形成してます。
島南部の沖村が唯一の集落です。


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